民間事業者等との包括的連携協定の締結

ページ番号1014180  更新日 2024年1月11日

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このたび、「平和で豊かな沖縄の実現に向けた新たな建議書」を決定しましたので、公表いたします。

作成にかかる参考資料

以下、本文を掲載いたします。

平和で豊かな沖縄の実現に向けた新たな建議書

令和4年5月
沖縄県

1 復帰時における沖縄と「復帰措置に関する建議書」

沖縄県は、本土復帰から50年の節目を迎えようとしています。

沖縄は、77年前の先の大戦において、我が国で唯一の住民を巻き込んだ地上戦の場となり、焦土と化し、多くの尊い人命や文化財等が失われました。1945年3月26日、慶良間諸島に上陸した米軍は、ただちにニミッツ布告(米国海軍軍政府布告)第1号を公布し、これにより、南西諸島における日本政府のすべての行政権が停止され、沖縄が米軍の支配下に置かれ、27年にわたり、日本国の施政権から分離されました。
日本国から分離され軍事優先の政策が採られた後、沖縄では、土地の強制接収に反対する「島ぐるみ闘争」などが起こり、県民は日本の平和憲法の下での基本的人権の保障を願い、長きにわたる復帰運動を経て、1972年5月15日に日本本土への復帰を果たしました。

本土復帰までの27年もの間、米軍の施政権下にあった沖縄においては、肥沃な田畑や市街地等を含め膨大な面積の土地が米軍基地として接収され、その周辺に無秩序に市街地が形成されるなど、都市計画がなされないまま、まちがつくられました。この間、日本本土は、1955年頃から高度成長期に突入し、東京オリンピックや大阪万博が開催され、高速道路や東海道新幹線が開通するなど、めざましい発展と社会資本の急速な整備が進められましたが、沖縄においては、日本政府から十分な支援を受けることができず、空港や港湾、道路等の産業基盤や、医療施設、教育施設等の生活基盤の整備が大きく立ち後れておりました。
産業基盤整備の絶対的な後れと、米国が大規模な基地建設や軍人等の消費活動を通じて沖縄に外貨(ドル)を獲得させ、輸入に有利な為替レートを設定し、基地建設資材や消費材などあらゆる物資を輸入により調達させたことで、沖縄は、基地依存型輸入経済と言われる脆弱な産業構造を余儀なくされ、農林水産業や製造業など移輸出により外貨を獲得する生産部門がほとんど育たず、サービス業など域内産業に偏った産業構造となっておりました。

さらに、基地があるがゆえに様々な事件・事故が多発しました。6歳の女の子が米兵に暴行・殺害された事件、宮森小学校にジェット戦闘機が墜落し、児童11人を含む17人の死者、210人の重軽傷者を出した事故、落下傘を取り付けた米軍のトレーラーが民家の庭先に落下し、小学5年生の女の子が亡くなった事故などでは幼い命が奪われました。そのほか、米兵による交通事故や殺人、暴行事件についても、補償問題や犯人の処罰など、必ずしも十分なものではありませんでした。このような基地があるがゆえの筆舌に尽くしがたい被害を経験した県民は、戦後27年間実現されなかった県民の切なる思いとして、平和憲法の下での基本的人権の保障、地方自治権の確立、「基地のない平和の島」としての復帰を強く望んでおりました。

1969年11月、日米首脳会談において、長年県民が求めてきた本土復帰が正式に決定されましたが、1971年6月に日米政府間で調印された沖縄返還協定は、沖縄の米軍基地を復帰後も米国が継続して使用することを認めたものであり、復帰の際に多くの県民が望んだ「基地のない形での復帰」とはほど遠いものでした。

このため、琉球政府は、1971年11月の返還協定の国会承認を前に、返還協定、復帰に係る対沖縄施策等を取りまとめた復帰対策要綱や国内関連法案等に県民の要求が十分反映されていないとし、将来に悔いを残さないよう、沖縄県民の要求や考え方等を集約した「復帰措置に関する建議書」を作成し、日本政府・国会に提出しました。

「復帰措置に関する建議書」においては、県民の福祉を最優先に考え、「地方自治権の確立」、「反戦平和の理念をつらぬく」、「基本的人権の確立」、「県民本位の経済開発」等を骨組みとするあるべき沖縄の姿を求めた新生沖縄像が描かれております。

同建議書においては、沖縄の米軍基地は、「民主主義の原理に違反して、県民の意思を抑圧ないし無視して構築、形成されてきたものであり」、「その基地の存在が県民の人権を侵害し、生活を圧迫し、平和を脅かし、経済の発展を阻害している」と指摘し、基地の島としてではなく、「基地のない平和の島」としての復帰を強く望むことが明確に記されております。

また、本土復帰に当たり日本政府が発表した声明には、「沖縄を平和の島とし、わが国とアジア大陸、東南アジア、さらにひろく太平洋圏諸国との経済的、文化的交流の新たな舞台とすることこそ、この地に尊い生命を捧げられた多くの方々の霊を慰める道であり、沖縄の祖国復帰を祝うわれわれ国民の誓いでなければならない」と記されており、50年前の本土復帰当時は、沖縄県も日本政府も「沖縄を平和の島とする」という目標を共有していたと認識しております。

2 本土復帰後50年の振り返り

沖縄県においては、本土復帰後、5次にわたる振興計画等に基づき、社会資本整備や各種振興施策が講じられてきました。

第一次沖縄振興開発計画においては、「本土との格差を是正し国民的標準を確保すること」、「自立的発展の基礎条件を整備し、平和で明るい沖縄県を実現すること」等を目標に、立ち後れの著しかった社会資本整備が進められ、第二次振興開発計画においても、慢性的な水不足などへの対応等、引き続き、社会資本整備が進められました。第三次振興開発計画においては、新たに「広く我が国の経済社会及び文化の発展に寄与する特色ある地域としての整備」が目標として追加され、特別自由貿易地域制度や情報通信産業振興地域制度、観光振興地域制度など特別の措置が導入されました。

これら3次にわたる振興開発計画により、基本的な社会資本整備については、本土との格差是正を基調とするキャッチアップ型の振興開発が進められ、空港や港湾、道路等の産業基盤や保育所、福祉施設等の生活基盤、ダム等の集中的整備により、本土との格差は着実に縮小、又は全国水準並になるなど、県民福祉や利便性は大きく向上し、観光リゾート産業がリーディング産業へと成長し、情報通信関連産業はコールセンターを中心に立地が進みました。

2002年度からの計画では、「開発」の文字がなくなり、沖縄振興計画として「キャッチアップ型の振興開発だけでなく、沖縄の特性を十分に発揮したフロンティア創造型の振興策への転換を進める必要がある」との考えの下、「我が国ひいてはアジア・太平洋地域の社会経済及び文化の発展に寄与する特色ある地域として整備」することが目標として掲げられ、「情報通信産業特別地区」の創設や、製造業等の高度化のための「産業高度化地域制度」、「金融業務特別地区」の創設など制度面の拡充が図られ、様々な施策が進められましたが、水・電力・用地等を含む立地条件、島しょ地域特有の輸送コストの高さ、市場規模の狭あいさなど様々な不利性を抱えていたこと、また、円高等で国内の生産拠点が国外に移る「産業の空洞化」などにより、製造業の誘致・集積などは必ずしも実を結んでいるとは言い難い状況にありました。

2012年に改正された沖縄振興特別措置法においては、「これまでの沖縄振興における成果と課題を踏まえ、沖縄の優位性を生かした自立型経済の発展と豊かな住民生活の実現のための施策を、沖縄が自ら主体的に講ずることにより、その潜在力を存分に引き出すことが可能となる」との考えの下、沖縄振興計画の策定主体が国から県へ移行され、沖縄振興に資する事業を本県の自主的な選択に基づいて実施できる沖縄振興交付金制度、いわゆる一括交付金制度が創設されました。

改正された同法に基づき、沖縄県においては、2012年5月15日に沖縄振興計画としての性格を持つ「沖縄21世紀ビジョン基本計画」を策定し、創設された一括交付金制度により、これまでの補助事業では十分な対応が困難であった離島の定住条件の整備、子育て・教育支援などのきめ細かな施策や、観光リゾート産業、情報通信関連産業、国際物流関連産業などの振興に不可欠となるソフト・ハードの両面からの効果的な産業振興施策等を進めてきました。
これら取組により、新型コロナウイルス感染症の拡大前の2019年には入域観光客数は1,000万人を超え、情報通信関連産業の立地が進み、雇用情勢が大幅に改善するなど、着実に成果をあげてきておりました。

また、2012年4月に施行された「沖縄県における駐留軍用地跡地の有効かつ適切な利用の推進に関する特別措置法」においては、地方公共団体等による駐留軍用地内の土地の先行取得のための措置や給付金制度の拡充等が規定され、アワセゴルフ場地区や西普天間住宅地区の返還跡地の開発が進められてきたところです。

一方、復帰時において、沖縄県と政府が共有した「沖縄を平和の島とする」目標は、50年経過した現在においてもいまだ達成されていないと言わざるを得ません。

沖縄県の米軍専用施設面積は、復帰時から33.7パーセント減少したものの、この50年間に、沖縄県以外の在日米軍専用施設が大幅に減少したことから、逆に、沖縄県の米軍専用施設面積の全国に占める割合は復帰時の58.8パーセントから、現在の70.3パーセントに増加しており、現在もなお沖縄県に米軍基地が集中し続けています。

また、沖縄本島の周辺には広大な訓練水域・空域が存在しております。訓練水域は九州の面積の約1.3倍となる約549万ヘクタール、訓練空域は北海道の面積の約1.1倍となる約954万ヘクタールにも達するものであり、かつ、これらの水域・空域は復帰当時からほとんど縮小されず存在し、度重なる外来機の訓練等による基地負担増加の要因となっております。

さらに、県土の枢要部分を占有している基地の存在や基地による市街地の分断は、広域道路網の整備や計画的なまちづくり、産業の立地など沖縄の振興を進める上で、大きな障害となっております。その一方で、那覇新都心地区、小禄金城地区、桑江・北前地区といった基地返還後の跡地利用の経済効果は、基地返還前と比べて極めて高く、基地跡地の有効利用による飛躍的発展は沖縄全体の振興・発展に資することが明らかとなっております。

3 いまだ残る課題

沖縄県は、歴史的、地理的、自然的な特殊事情を有しており、これらに起因する行政課題は他都道府県とは性質を異にしているため、全国一律の政策によっては十分な効果が得られないなどの問題があります。また、離島市町村においては、離島が抱える遠隔性、散在性、狭小性等の条件不利性により、市場規模の不経済性、高コスト構造、陸続きでないことによる災害時における物資の輸送の難しさ等リスクへの脆弱性を抱えているという課題があります。

さらに、沖縄県の産業構造は、農林水産業における担い手の不足や高齢化等の影響、製造業の集積が思うように進まない等の状況の中、沖縄の特性及び優位性を生かした観光リゾート産業、情報通信関連産業、国際物流関連産業などが独自の発展を遂げてきたことなどにより、第一次及び第二次産業の割合が低く、第三次産業中心の産業構造となっております。その特徴として、景気変動等の影響を受けやすく、製造業と比べて労働生産性や賃金水準が低い傾向にあることなど構造的な問題を抱えており、また、一人当たり県民所得は全国の約7割の水準にとどまり、復帰以降一貫して全国最下位の水準が続いているなど、自立型経済の構築はなお道半ばにあります。

自立型経済の構築に向けては、新型コロナウイルス感染症の長期化により多大な影響を受けた本県経済の回復及び成長に向けて取り組むとともに、本県のリーディング産業である観光リゾート産業や臨空・臨港型産業など沖縄の地域特性を生かした比較優位のある産業の育成、農林水産業や製造業などの高付加価値化により域内産業の活性化を図ることで、県外、海外から獲得した資本が域内に投下され、地域経済全体が安定的に発展する好循環の状況を実現することが必要であります。加えて県内企業の技術力の強化などによる産業全体の労働生産性の向上や付加価値の向上等を図り、所得の増加、企業の稼ぐ力の強化に繋げていくことが重要となっています。

戦後、戦禍を被った鉄道の復旧が、他都道府県においては旧国鉄等により進められました。一方で、米軍の施政権下にあった沖縄では、沖縄戦により壊滅した沖縄県営鉄道の復旧は行われず、現在、陸上交通の大半を自動車交通に依存しておりますが、広大な米軍基地の存在や基地による市街地の分断という社会的事情から広域道路網の整備が遅れ、特に人口や、物流などの産業活動が集中する中南部都市圏の交通渋滞は深刻となっております。

沖縄県の振興は、復帰してから5次にわたる振興計画等に基づき進められてきましたが、依然として、目標として掲げる沖縄の自立的発展、豊かな住民生活の実現といった社会経済面においては、課題が残されています。

沖縄の米軍基地に関しては、本土復帰後においても、1972年の基地従業員が米兵にライフルで射殺される事件、1973年の米軍戦車に女性がひかれて亡くなる事故、1983年のタクシー運転手が米兵2人に刺殺される事件、1995年の少女暴行事件、2004年の普天間飛行場に隣接する沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落事故、2016年の米軍軍属による女性暴行殺人事件など、米軍基地から派生する事件・事故が跡を絶たず、県民は過重な基地負担を強いられ続けています。また、普天間飛行場、嘉手納飛行場その他訓練場の周辺住民は、長年にわたって昼夜を問わない航空機騒音に悩まされ、有機フッ素化合物(PFOS)をはじめとする米軍基地から発生する有害物質による水質や土壌等の環境汚染なども県民の安全・安心を脅かしています。

沖縄県及び市町村は、これまで機会あるごとに日米両政府に対して基地負担の軽減を求めてきたところであります。また、2013年には、県議会、県内41の全ての市町村・市町村議会等が連名で、オスプレイの配備撤回、普天間飛行場の県内移設断念等を求め、政府に「建白書」を提出しておりますが、その願いは一顧だにされておりません。

加えて、現在政府が進めている辺野古新基地建設は、県民に新たな基地負担を強いるものであります。

辺野古新基地建設に係る政府の対応は、民主主義や地方自治の問題など、民主主義国家の根幹にかかわる重大な問題を顕在化させました。
具体的には、第一に、辺野古新基地建設に反対する民意が、辺野古新基地建設の是非が大きな争点となった2度の県知事選挙や全市町村で実施された県民投票など民主主義の手続により明確に示されているにもかかわらず、国は県民の思いを顧みることなく埋立工事を進めていること、第二に、国の地方公共団体に対する関与は必要最小限度のものでなければならないとされておりますが、辺野古新基地建設に関し法令により権限と責任を委ねられた知事が行った処分が国により取り消されるという事態が生じており、地方自治の観点から大きな問題があること、第三に、新たな米軍基地の建設が、国民的議論や国会での議論を経ることなく法的な根拠がないまま閣議決定のみで進められていること、などであります。

また、復帰当時、日米安全保障条約や日米地位協定が適用されることで沖縄の米軍基地も「本土並み」になると言われていましたが、日米地位協定は、1960年の締結から一度も改定されず、社会情勢の変化や人権、環境問題などに対する意識の高まり等の中で、時代の要求や国民の要望にそぐわないものとなっています。

日米地位協定に係る課題については、米軍機の低空飛行による騒音被害や米軍基地に由来する新型コロナウイルスの感染拡大など、近年、全国的に認識が広がっており、沖縄県のみならず、渉外知事会、全国知事会の要請等を通じて全国の地方公共団体の思いとして、何度も日米両政府に抜本的な見直しを求めてきましたが、いまだ実現されておりません。

さらに、近年、アジア太平洋地域の安全保障環境の変化を背景に、沖縄の軍事的機能を強化しようとする動きや核兵器の共有、敵基地攻撃能力の保有等の議論が見られるようになっておりますが、このような考えは、悲惨な沖縄戦を経験した県民の平和を希求する思いとは全く相容れるものではありません。
沖縄県としては、軍事力の増強による抑止力の強化がかえって地域の緊張を高め、意図しない形で発生した武力衝突等がエスカレートすることにより本格的な軍事紛争に繋がる事態となることを懸念しており、ましてや米軍基地が集中しているがゆえに沖縄が攻撃目標とされるような事態は決してあってはならないと考えております。

本年2月に勃発したロシアによるウクライナ侵攻で、ウクライナの国民に甚大な犠牲が生じ、美しい街並みや空港、道路等の重要なインフラが徹底的に破壊されていく状況は、77年前の沖縄における住民を巻き込んだ悲惨な地上戦の記憶を呼び起こすものであり、これが過去のことではなく、今、現実に起こっている事態であることに例えようのない衝撃を受けるとともに、沖縄を取り巻くアジア太平洋地域の今後の情勢等について重大な危機感を持たざるを得ません。

さらに、このことは沖縄だけの問題ではなく、日本全体の安全保障や日本の将来の在り方、そして国民一人ひとりの生活にも密接に関わる重要な問題であることを全ての国民に共有していただきたいと考えております。

政府においては、平和、経済、交流等の武力によらない手法によって、アジア太平洋地域の現在及び将来にわたる安定した発展を図るため、国及び地域間の協調を基本とする外交に取り組んでいただきたいと考えております。

4 沖縄の未来に向かって

この復帰50年の節目に生きる私たちは、平和を希求する先人達の思いを引き継ぐとともに、子や孫たちのためによりよい未来を創造する架け橋となるため、日本及び世界における沖縄の役割をあらためて認識し、自らの手で沖縄の進化・発展を志向していかなければなりません。

復帰50年を機に実施した、50年先の沖縄に望む姿についての県民意見募集においては、自然環境の保全、伝統・文化の継承、子育てしやすい環境整備、人権の尊重、県民所得の向上、平和な社会を求める意見など様々な分野に関する意見が寄せられました。

これは、2010年に未来の可能性を見据え、県民が望む沖縄のあるべき姿、ありたい姿を描いた「沖縄21世紀ビジョン」における5つの将来像と重なっており、我々が目指すべき方向性をあらためて示すものであります。

沖縄は、成長著しいアジアに隣接し、人、モノ、資金、情報が集積するアジアの結節点として発展しうる潜在力、独自の歴史・風土の中で育まれた人々を惹きつける魅力「ソフトパワー」を有するとともに、広大な海域、多種多様な海洋資源の存在による海洋政策の拠点としても期待されます。

これら沖縄の潜在力や発展可能性を生かし、未来に向かって、県民が望む平和で豊かなあるべき沖縄の姿を実現するためには、環境との調和を図りつつ日本経済をリードする経済的なパワーを身につけ、アジア太平洋地域等における信頼醸成や緊張緩和のための平和貢献の地域協力外交を通じて平和の拠点としての役割を担っていくための取組を進めていく必要があります。

このため、平和で生き生きと暮らせる誰一人取り残すことのない優しい社会の形成に向けて、平和を希求し、すべての人の尊厳を守り、多様性や寛容性を大切にしつつ共に支え合い、子どもや障害者等のライフステージに応じた支援が図られ、子どもからお年寄りまですべての県民が安全・安心かつ健やかに暮らせることができる社会づくりに取り組みます。

また、世界とつながり、時代を切り拓く強くしなやかな自立型経済の構築に向けて、様々な分野で世界と繋がる国際交流ネットワークを構築するとともに、未来を先取りし、時代の潮流を推進力に変え、デジタルトランスフォーメーションの推進や先端技術の導入等による生産性の向上、比較優位を生かした付加価値の向上等を図り、経済の好循環を生み出す経済メカニズムの構築・強化に取り組みます。

さらに、人々を惹きつけ、ソフトパワーを具現化する持続可能な海洋島しょ圏の形成に向け、沖縄の豊かな自然環境や個性豊かな文化などのソフトパワーを生かし、海洋環境の保全と海洋の利活用の調和を図るとともに、沖縄と類似する地域特性を有する島しょ国・地域との共生に向け、取り組んでまいります。加えて、離島においては、遠隔教育や遠隔診療の導入など定住条件の整備と安全・安心に暮らせる持続可能な地域づくりに取り組んでまいります。

政府においては、沖縄の潜在力や発展可能性を生かし、沖縄県民が望む平和で豊かなあるべき沖縄の姿の実現が図られるよう、地元の意思を十分に尊重しつつ、国家戦略として沖縄振興策を総合的かつ積極的に推進する方針を堅持されることを望みます。

私たち沖縄県民は、子や孫たちのために、豊かな自然を守り、県民一人ひとりが生きがいを感じられ、人と人とのつながりを大切にし、アジア太平洋地域の持続的安定と平和に貢献し、我々県民が描く「時代を切り拓き、世界と交流し、ともに支え合う平和で豊かな「美ら島」おきなわ」の未来に向かって邁進してまいります。

5 平和で豊かな沖縄の実現に向けた新たな建議

これまで述べた復帰当時の先人達の願い、今を生きる私達県民の思いを踏まえ、政府においても、「平和で豊かな沖縄」の実現に向けて積極的に取り組んでいただきたく以下のとおり建議します。

  1. 沖縄の本土復帰において「沖縄を平和の島とする」ことが沖縄県と政府の共通の目標であることを改めて確認し、これを含めた沖縄の本土復帰の意義と重要性について国民全体の認識の共有を図るとともに、50年前の「復帰措置に関する建議書」に掲げられた「地方自治権の確立」、「反戦平和の理念をつらぬく」、「基本的人権の確立」、「県民本位の経済開発」等の考え方を尊重し、自立型経済の構築及び「基地のない平和の島」の実現に一層取り組むこと。
  2. 「沖縄県民総意の米軍基地からの『負担軽減』を実行」するよう求めた建白書の趣旨も踏まえ、在沖米軍基地の更なる整理・縮小、日米地位協定の抜本的な見直し、基地の県外・国外移設、事件・事故等の基地負担の軽減、普天間飛行場の速やかな運用停止を含む一日も早い危険性の除去、辺野古新基地建設の断念等、構造的、差別的ともいわれている沖縄の基地問題の早期の解決を図ること。
  3. 日本国憲法が保障する「民主主義」や「地方自治」について、正当な手続により示された民意や、地方公共団体が自らの判断と責任で行政を運営するという原則を尊重し、日本国憲法に掲げる理念の追求に向け不断に取り組むこと。
  4. 我が国を取り巻く国際情勢を踏まえ、アジア太平洋地域において、武力による抑止が国・地域間の緊張を過度に高め、不測の事態が起こることのないよう最大限の努力を払うとともに、平和的な外交・対話により緊張緩和と信頼醸成を図ることで同地域の平和の構築に寄与するなど、我が国が国際社会において名誉ある地位を占めるべく積極的な役割を果たすこと。その際、独自の歴史や多様性を持つ沖縄を最大限活用すること。

沖縄県知事 玉城デニー

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