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更新日:2021年2月16日
昭和34年5月 | 琉球政府経済局蚕糸検定所内に「指導調査課」、「化学課」、「工芸課」の3課を有する「琉球工業研究指導所」が設立された。 |
昭和38年2月 | 経済局組織規則の改正により「総務課」、「技術指導室」、「生産指導室」の3課に改編された。 |
昭和39年6月 | 経済局組織規則の改正により「材料試験室」が新設された。 |
昭和40年8月 | 経済局から通商産業局の所管となり、「材料試験室」は職員を含めて建設局(現(財)沖縄県建設技術センター)へ移管された。 |
昭和47年5月 | 本土復帰に伴い「琉球工業研究指導所」は「沖縄県労働商工部」の出先機関として、「沖縄県工業試験場」と名称を改めるとともに、内部組織も5課(庶務課、化学課、鉱物資源課、染織課、木工試験課)に改編し、職員数25名でスタートした。 |
昭和49年4月 | 「沖縄県伝統工芸指導所」が新設され、工業試験場から「染織室」と「木工試験室」が分離された。それに伴い内部組織も場長1名、庶務課4名、化学室4名、鉱物資源室7名の計16名となった。 |
昭和50年8月 | 「鉱物資源室」を廃止し、新たに窯業室と機械金属室を設置するとともに、庶務課、窯業室、機械金属室に各1名を増員し、計19名体制となった。 |
昭和53年4月 | 化学室に研究員1名を増員し、定員が20名となった。 |
昭和55年4月 | 新しく次長制がスタートし、定員が21名となった。 |
昭和59年4月 | 「庶務課」を「企画課」に改称し、用務員1名を減員、化学室に研究員を1名増員し、企画課を4名、化学室を6名とした。 |
昭和60年4月 | 研究員を1名増員すると共に、新規に食品室(化学室より分離)を設置した。 |
昭和63年4月 | 食品室に研究員を1名増員し、23名体制となった。 |
平成元年4月 | 運転手1名減員で再び22名体制となった。 |
平成6年4月 | 「食品室」を「食品加工室」に改称するとともに、研究員を1名増員し23名体制となった。 |
平成7年4月 | 化学室に研究員を1名増員し24名体制となった。 |
平成8年4月 | 企画課研究員を1名増員し25名体制となった。 |
平成9年4月 | 沖縄県工業技術センター移行に向けての業務執行体制の強化のため、企画課が所管していた経理庶務業務を担当する「庶務課」を新設し、庶務課課長1名増、企画課に研究員を2名増員し、28名体制となった。 |
平成10年4月 | 「工業試験場」を具志川市州崎に移転し、「工業技術センター」に改称した。組織も工業試験場の2課4室制(庶務課、企画課、化学室、食品加工室、窯業室、機械金属室)から1課1室2部制(総務課、研究企画室、開発研究部、技術支援部)に組織を改正するとともに、研究員を3名増員し、31名体制となった。 |
平成11年3月 | 特許庁より沖縄県知的所有権センターの認定を受けた。 |
平成12年4月 | 研究員を1名増員し32名体制となった。また、招聘・嘱託研究員事業を開始した。 |
平成17年4月 | 試験研究機関の管理一元化により、「工業技術センター」は「沖縄県商工労働部」から「企画部」の出先機関となった。 |
平成18年4月 | 班制の導入により、4班制(企画管理班、技術支援班、食品・化学研究班、生産技術研究班)に組織を改正するとともに、任期付研究員を2名増員し34名体制となった。 |
平成19年4月 | 研究員(工芸)を1名増員し35名体制となった。 |
平成20年4月 | 研究員を1名を減員し34名体制となった。 |
平成21年4月 | 研究員を1名増員し35名体制となった。 |
平成23年4月 | 研究員を1名を減員し34名体制となった。 |
平成24年4月 |
行政組織規則改正により「工業技術センター」は、「企画部」から「商工労働部」の出先機関となった。研究員を2名を減員し32名体制となった。 |
平成28年4月 | 研究員を1名減員し31名体制となった。 |
平成29年4月 | 研究員を1名減員し30名体制となった。 |
平成30年4月 | 班名を企画管理班、食品・醸造班、機械・金属班、環境・資源班に改正した。 |
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