平和宣言(Peace Declaration和平宣言평 화 선 언

ページ番号1008404  更新日 2024年1月11日

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平和宣言(令和5年)

標記の件について、下記のとおり公表します。

令和5年平和宣言においても、平和を希求する「沖縄のこころ・チムグクル」を世界へ発信するため、英語、中国語及び韓国語に翻訳しています。

「令和4年沖縄全戦没者追悼式における平和宣言」への県民意見の概要について(公表)

標記の件について、下記のとおり公表します。

平和宣言(令和4年)

ここ沖縄は、先の大戦において、一般住民を巻き込み、史上まれに見る苛(か)烈(れつ)を極めた地上戦の場となりました。
鉄の暴風は20万人余りの尊い命を奪い去り、貴重な文化遺産や緑豊かな自然を破壊しました。
あれから77年目となる6月23日を迎えました。
戦争の不条理と残酷さを身をもって体験した県民は、一人一人の不断の努力と揺るぎない信念を持って、戦後の廃(はい)きょと混乱から懸命に立ち上がり、共に手を取り合って幾多の困難を乗り越えてきました。

今年、沖縄は本土復帰50年の節目の年です。
復帰の前年1971年、当時の琉球政府が日本政府・国会に提出した復帰措置に関する建議書においては、「基地のない平和の島」としての復帰を強く望むことが明確に記されております。
しかしながら、今なお国土面積の約0.6パーセントしかない沖縄に、日本全体の米軍専用施設面積の約70.3パーセントが集中しており、米軍基地から派生する事件・事故、航空機騒音、水質や土壌等の環境汚染など、県民は過重な基地負担を強いられ続けています。
このため沖縄県は、在沖米軍基地の更なる整理・縮小や、日米地位協定の抜本的な見直し、事件・事故等の基地負担の軽減、普天間飛行場の速やかな運用停止を含む一日も早い危険性の除去、辺野古新基地建設の断念等、沖縄の基地問題の早期の解決を図ることを強く求めてまいります。
平和で真に豊かな沖縄の発展に向けて、貴重な自然環境や沖縄独自の文化を、未来を担う子や孫達に引き継いでいくことが私たちの責務です。

世界においては、依然として地域紛争は絶えることがなく、難民、貧困、飢餓、差別、人間としての尊厳がじゅうりんされるなどの深刻な問題が存在しています。
ウクライナではロシアの侵略により、無この市民の命が奪われ続けています。美しい街並みや自然が次々と破壊され、平穏な日常が奪われ、恐怖と隣り合わせで生きることを余儀なくされている状況は、77年前の沖縄における住民を巻き込んだ地上戦の記憶を呼び起こすものであり、筆(ひつ)舌(ぜつ)に尽くし難い衝撃を受けております。
沖縄県民は、国際社会の連帯と協力による一日も早い停戦の実現を切に願っております。
沖縄県としては、人道支援の立場から、ウクライナからの避難民受け入れ等の支援を行っており、一日も早い平和の回復を強く望みます。
「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」と、ユネスコ憲章の前文に記されております。
平和な社会を創造するためには、国際社会が連帯し、多様性や価値観の違いを認め合い、対立や分断ではなく、お互いを尊重し、対話を重ね、共に平和を追求していくことが、今求められているのではないでしょうか。

沖縄には、独自の歴史や文化によって培われた寛容の心と万国津(しん)梁(りょう)の精神で多くの国々と交流し、平和を維持してきた歴史があります。
このような歴史を積み重ねてきた沖縄県では、世界の恒久平和を願い、国籍や軍人、民間人の区別なく、沖縄戦で亡くなられたすべての人々の氏名を刻銘した「平和の礎(いしじ)」を建設しました。
今年も新たな追加刻銘を行い、24万1,686人の方々が刻銘されており、この取組は今なお続いております。
私たちは、激動が続く世界情勢の中で、今こそ、平和の礎(いしじ)に込められた平和と命の尊さを大切にする「沖縄のこころ・チムグクル」を国境を越えて世界に発信していくことが重要だと考えております。

戦後77年が経ち、戦争を知らない世代が大半を占めるなど悲惨な沖縄戦の記憶が薄れていく中で、忌(い)まわしい戦争の記憶を風化させないために、沖縄戦の実相や教訓を次の世代に正しく伝えていくことは、私たちの大切な使命です。
沖縄県では、復帰当時の県民の願いを引き継ぎ、復帰から50年経った現在においてもなお残る課題の解決と、県民が望む沖縄21世紀ビジョンで描く沖縄のあるべき姿の実現に向け、「平和で豊かな沖縄の実現に向けた新たな建議書」をとりまとめました。
令和4年度から始まった「新・沖縄21世紀ビジョン基本計画」に基づき、県民が望む「平和で豊かな『美ら島』おきなわ」の未来に向けて、沖縄県の持つ様々な特性を活かしながら、「誰一人取り残すことのない優しい社会」の実現に全力で取り組んでまいります。
私たちは、沖縄から世界へ平和の声をつなげ、二度と沖縄を戦場にさせないために、核兵器の廃絶、戦争の放棄、恒久平和の確立に向け絶え間ない努力を続けてまいります。

「命(ぬち)どぅ宝(たから)」んでぃ言(いゅ)る格言(いくとぅば)や、私達(わったー)御先祖(うやぐゎんす)ぬ遺(ぬ)くちくぃみそーちゃる何事(ぬーぐとぅ)にん勝(まさい)る黄金言葉(くがにくとぅば)やい(ゐ)びーん。
くぬ命宝(ぬちだから)やる格言(いくとぅば)や、何時(いつぃ)ぬ時代(でー)までぃん継(つぃ)なじいちゃびらな。
誰一人(たーちゅい)やてぃん命奪(ぬちぼー)らってぃんならん、あんし奪(ぼー)い(ゐ)んさんぐとぅ御万人(うまんちゅ)が心穏(なだやし)くそーてぃ暮(く)らさりーる安寧(くくるやっさ)る世(ゆ)ぬ中(なか)んかい(ゐ)なさびらな。
子供達(わらびんちゃー)ぬ瞳(みー)が輝(ふぃちゃ)い(ゐ)かんてぃ、全(まじり)ぬ方々(ぐにんじゅ)が幸(しぇーえー)やんでぃいゅる実感(うむい)ぬない(ゐ)る希望(ぬじゅみ)ぬ満(み)っち溢(あん)でぃーる社会(ゆぬなか)なしみてぃ今世(なまぬゆー)から未来(あとぅぬゆー)までぃん築(つぃみかさび)てぃいちゃびらな。

Your lives matter
It is life, itself, that matters more than any treasure
Nobody has the right to take another life
Nobody should be left behind or have to live with fear
We will pass our faith of “Nuchi-du-takara”(命どぅ宝) on to the succeeding generations
So that we can create a society where our children’s eyes brightly with hopes, and all people are able to live in peace
Let's work together to hand down our compassionate society that embodies the spirit of the Okinawan People
Let’s continue building a bright future for our children and grandchildren!

本日、慰霊の日に当たり、国籍の区別なく犠牲になられた全てのみ霊(たま)に心から哀(あい)悼(とう)の誠(まこと)を捧げるとともに、平和の尊さを正しく次世代に伝え続け、国際平和の実現に貢献し、すべての県民が真に幸福を実感できる平和で豊かな沖縄の実現を目指し、全身全霊で取り組んでいく決意をここに宣言します。

令和4年6月23日
沖縄県知事 玉城 デニー

※方言及び英語の訳
命どぅ宝命こそ宝をいつの時代でも語り継ぐこと。
誰かの命が奪われず、命を奪うこともせず、人々が心穏やかに暮らせる安寧な世の中にすること。
子ども達が瞳を輝かせて、全ての人々が、幸せだと実感できる希望に満ち溢れた社会を今から未来へ築いていこう。

令和4年度平和宣言においても、平和を希求する「沖縄のこころ・チムグクル」を世界へ発信するため、英語及び韓国語に翻訳しています。

平和宣言(令和3年)

太平洋戦争最後の熾烈(しれつ)な地上戦が行われてから、76年目の6月23日を迎えました。
荒れ狂う戦火は、20万人余りの尊い命を奪い去り、多くの人々を傷つけ、かけがえのない文化遺産や美しい自然を破壊しました。
私たちは、想像を絶する悲惨な沖縄戦の記憶を風化させることなく、亡くなられた方々の悲しみや苦しみに思いを寄せ、無念の声を代弁する戦争体験者の証言を後世に語り継ぎ、平和がいかに尊いものかという人類普遍の教訓を胸に刻み、恒久平和の実現を強く求めながら、復興と発展の道を懸命に歩んでまいりました。

しかしながら、今もなおここ摩文仁を始め県土の各地には、犠牲になられた方々の御遺骨や多くの不発弾が埋もれており、戦争の傷は未だ癒えることがありません。
県民の思いに寄り添い、国の責任において一日も早い御遺骨の収集、不発弾の処理を行っていただきたいと思います。
また、国土面積の約0.6パーセントの沖縄県に米軍専用施設面積の約70.3パーセントが集中し続けていることにより、騒音、環境問題、米軍関係の事件・事故が後を絶たない状況にあります。
SACO合意から25年が経過し、この間、アジア太平洋地域の安全保障環境が大きく変化し、米軍は部隊の分散化を進めていると承知しております。
このような中、沖縄県が来年に本土復帰50年という大きな節目を迎えるに当たり、日米両政府は、県を含めた積極的な協議の場を作っていただき、辺野古新基地建設が唯一の解決策という考えにとらわれることなく、「新たな在沖米軍の整理・縮小のためのロードマップ」の作成と、目に見える形で沖縄の過重な基地負担の解消を図っていただくことを要望します。
ここ沖縄は、世界自然遺産登録に向けた取組を進める「奇跡の森やんばる」と呼ばれる希少な動植物が多く生息・生育する地域や、個性豊かな自然あふれる離島地域など、多様性に富む自然環境を有しています。
未来を担う子どもたち、若者たちに、自然豊かな沖縄、独自の文化が息づく沖縄、平和で真に豊かな世界に誇れる沖縄を託すことが私たちの責務であります。
一方、世界に目を向けると、依然として地域紛争は絶えることがなく、貧困、飢餓、差別、人権侵害などの多くの問題が存在しています。
「愛の反対は憎しみではなく無関心です」という言葉があります。世界中の人々が連帯し、多様性や価値観の違いを認め合い、対立や分断ではなく、協力して共に歩み、乗り越えていくことが、今求められています。
まさに現在、新型コロナウイルス感染症の脅威にさらされている中においては、人々の命と生活を支えるため世界が協力していかなければなりません。
グローバル化した現代において、平和な社会を創造するためには、近隣諸国との相互理解が欠かせません。私たちは、時間や場所を越え平和への思い、安らかな暮らしへの思いを紡ぎ共に分かち合うことが可能です。困難な状況の今こそ英知を結集し、誰一人取り残すことのない社会の実現に向けて共に歩んでいくことが重要ではないでしょうか。

かつて沖縄の人々は、長い歴史の中で、祖先への敬い、自然への畏敬の念、他者の痛みに寄り添うチムグクルを育むとともに、近隣諸国との交易を通じて友好関係を結び、独自の文化と平和な社会を築いてきました。
私たちは、世界の国々をつなぐ架け橋として活躍した先人の「万国津梁」の精神を受け継ぎ、沖縄の歴史と風土の中で培われた平和を何よりも大切にする「沖縄のこころ・チムグクル」を世界に発信していかなければなりません。

そして、戦争を体験した全ての方々の思いに応え、二度と悲劇を繰り返さないため、戦争体験や教訓を次の世代に正しく伝えていくことは、私たちの大切な使命です。
県民の思いを込め世界の恒久平和の創造に貢献することを目指す沖縄平和賞、平和につながる身近な社会貢献活動に光を当てたちゅらうちなー草の根平和貢献賞などにより、平和のバトンは、様々な活動をとおして人々の手から手へ託されながら未来につながっていきます。
また、沖縄と同様、悲惨な戦争体験などを持つアジア諸国の若者と沖縄の若者が共に学ぶことで、国籍や文化の違いを超えてつながり、培った平和への思いを共有し、遠く離れていても、「平和への架け橋」となるネットワークを築いております。
私たちは、沖縄から世界へ平和の輪がつながっていくことを目指し、核兵器の廃絶、戦争の放棄、恒久平和の確立のため不断の努力を続けてまいります。

くぬ地球(みふし)ぬ上(うぃー)から 有る丈(あるうっさ)ぬ戦争(いくさ)、無(ねー)らんなすくとぅ。
一人一人(ちゅいなーちゅいなー)が 弥勒世(みるくゆー)(平和)願(にが)いる心気(しんち)(心持ち)繋(ちな)じ行(い)ちゅるくとぅ。
食料(かみむん)分配(ゆらー)てぃ、希望(にげーかない)とぅ信頼(たゆいがなさ)育(すだ)てぃてぃ、
笑顔(われーがう)んかい囲(かく)まってぃ 一生(いちぐ)とぅじみ(遂げる)らりーるくとぅ。
うぬ為(たみ)に必死(ぬちかじ)り努力(はま)てぃ 私達(わったー)から未来(さちじゃち)ぬ子供達(わらびんちゃー)んかい繋(ちな)じ行(い)ちゃびらな。

Let us free this planet from all battles and wars
By connecting the hearts of all those who wish for peace
Let us always live together with smiles
By sharing food, fostering hope and trust among nations
It is time to show our “Bankoku Shinryo” spirit to the
international communities and to pass the baton of
“Chimugukuru” to our children, and future generations!

本日、慰霊の日に当たり、犠牲になられた全ての み霊(たま)に心から哀悼の誠を捧げるとともに、沖縄戦の実相と教訓を次世代に伝え続け、人類社会の平和と安寧を願い、国際平和の実現に貢献できる「安全・安心で幸福が実感できる島」を目指し、全身全霊で取り組んでいく決意をここに宣言します。

令和3年6月23日

沖縄県知事 玉城 デニー

※方言及び英語の訳
地球上からあらゆる戦(いくさ)をなくすこと。
一人ひとりが平和を願う心をつないでいくこと。
食料を分かち合い、希望と信頼を育み、笑顔に囲まれて一生を遂げられること。
そのための努力を私たちから未来の子どもたちへつなごう。

令和3年度平和宣言においても、平和を希求する「沖縄のこころ・チムグクル」を世界へ発信するため、英語、中国語及び韓国語に翻訳しています。

平和宣言(令和2年)

戦争終結75年の節目を迎えようとする今日(こんにち)、私たちは、忌(い)まわしい戦争の記憶を風化させない、再び同じ過(あやま)ちを繰り返さない、繰り返させないため、沖縄戦で得た教訓を正しく次世代に伝え、平和を希求する「沖縄のこころ・チムグクル」を世界に発信し、共有することを呼びかけます。

戦後、沖縄県民は人権と自治が抑圧された米軍占領下にある中、先人から大切に受け継がれてきた文化を守り、チムグクルを育みながら、復興と発展の道を力強く歩んできました。
しかしながら戦後75年を経た現在もなお、国土面積の約0.6パーセントに米軍専用施設の約70.3パーセントが集中し、米軍人・軍属等による事件・事故や航空機騒音、PFOS(ピーフォス)による水質汚染等の環境問題は、県民生活に多大な影響を及ぼし続けています。

名護市辺野古で進められている新基地建設の場所である辺野古・大浦湾周辺の海は、絶滅危惧種262種を含む5,300種以上の生物が生息しているホープスポットです。世界自然遺産への登録が待たれるヤンバルの森も生物多様性の宝庫であり、陸と海が連環(れんかん)するこの沖縄の自然体系そのものが私たちウチナーンチュのかけがえのない財産です。この自然豊かな海や森を次の世代、またその次の世代に残していくために、今を生きる我々世代が未来を見据え、責任を持って考えることが重要です。

県民の平和を希求する「沖縄のこころ」を世界に発信し、国際平和の創造に貢献することを目的として、2001年に創設した沖縄平和賞の第1回受賞者であるペシャワール会の中村哲(なかむら てつ)医師が、昨年の末、アフガニスタンで凶弾に倒れるという突然の悲報がありました。中村先生は人の幸せを「三度のご飯が食べられ、家族が一緒に穏やかに暮らせること」と説き、現地の人々が生きるために河を引き、干からびた大地を緑に変え、武器を農具に持ち換える喜びを身をもって示されました。私たちは、中村先生の「非暴力と無私の奉仕」に共鳴し、その姿から人々が平和に生きることとは何かを学ばせていただきました。
しかし、依然として世界では、地域紛争やテロの脅威にさらされている国や地域があり、貧困、飢餓、差別、人権の抑圧、環境の破壊などの構造的な暴力が横行しています。

さらに、全世界で新型コロナウイルス感染症が猛威を振るい、人々の命と生活が脅かされる未曾有の事態にあり、経済活動にも甚大な影響が生じています。この感染症は、病気への恐れが不安を呼び、その不安が差別や偏見を生み出し、社会を分断させるという怖さを秘めています。
だからこそ、世界中の人々がそれぞれの立場や違いを認め合い、協力し、信頼し合うことにより、心穏やかで真に豊かな生活を送ることができるよう、国連が提唱するSDGsの推進をはじめとした人間の安全保障の実現に向け、国際社会が一体となって取り組んでいくことが今こそ重要ではないでしょうか。

ここ平和祈念公園には、国籍や人種の別なく戦争で亡くなられた全ての方々の名前を刻む「平和の礎(いしじ)」があります。礎(いしじ)の前で、刻まれた名前をなぞりながら生きていた証を感じ、いつまでも忘れないとの祈りを寄せる御遺族の姿は、私たちの心に深々(しんしん)と染み入ってきます。
平和の広場の中央には、被爆地広島市の「平和の灯(ともしび)」と長崎市の「誓いの火」から分けていただいた火と、沖縄戦最初の米軍の上陸地である座間味村阿嘉島で採取した火を合わせた「平和の火」がともされております。私たちは、人類史上他(た)に類を見ない惨禍を経験されたヒロシマ・ナガサキと平和を願う心を共有し、人類が二度と「黒い雨」や「鉄の暴風」を経験することがないよう、心に「平和の火」をともし、尊い誓いを守り続ける決意を新たにします。

そして今こそ全人類の英知を結集して、核兵器の廃絶、戦争の放棄、恒久平和の確立のため総力をあげてまい進しなければなりません。

此(く)りまでぃに有(あ)てーならん戦争(いくさ)因(ゆゐ)に可惜命(あたらぬち)、失(うしな)みそーちゃる人々(かたがた)ぬ魂(たましー)が穏々(などぅなどぅー)とぅなみしぇーる如(ぐとぅ) 御祈(うにげー)っし、此(く)りから未来(さちじゃち)ぬ世(ゆー)ねー 戦争(いくさ)ぬ無(ねー)らん弥勒世(みるくゆー)(平和)招(まに)ち、御万人(うまんちゅ)ぬ喜(ゆるく)びぬ満(みっ)ち溢(あ)んでぃぬなみしぇーし心底(しんてぃー)から念願(にんぐゎん)っし、行(い)ちゅる所存(うむい)やいびーん。

I pray that the souls of those who lost their lives in past wars may rest in peace. I will continue to pray for peace and happiness in the future of mankind.

本日、慰霊の日に当たり、犠牲になられた全ての み霊(たま)に心から哀悼(あいとう)の誠(まこと)を捧げるとともに、私たちは、戦争を風化させないための道のりを真摯に探り、我が国が非核平和国家としての矜持(きょうじ)を持ち、世界の人々と手を取り合い、この島が平和交流の拠点となるべく国際平和の実現に貢献する役割を果たしていくために、全身全霊で取り組んでいく決意をここに宣言します。

令和2年6月23日
沖縄県知事 玉城 デニー

(うちなーぐち・英語の訳)
これまでの戦争による犠牲になった人々の魂が安らぎあらんことを祈り、これからの人類の未来には平和と喜びあらんことを祈り続けます。

令和2年度平和宣言においても、平和を希求する「沖縄のこころ・チムグクル」を世界へ発信するため、英語および中国語に翻訳しています。

平和宣言(令和元年)

戦火の嵐吹きすさび、灰燼(かいじん)に帰(き)した「わした島ウチナー」。
県民は、想像を絶する極限状況の中で、戦争の不条理と残酷さを身をもって体験しました。
あれから74年。忌(い)まわしい記憶に心を閉ざした戦争体験者の重い口から、後世に伝えようと語り継がれる証言などに触れるたび、人間が人間でなくなる戦争は、二度と起こしてはならないと、決意を新たにするのです。

戦後の廃墟(はいきょ)と混乱を乗り越え、人権と自治を取り戻すべく米軍占領下を生き抜いた私達ウチナーンチュ。その涙と汗で得たものが、社会を支え希望の世紀を拓くたくましい営みをつないできました。
現在、沖縄は、県民ならびに多くの関係者の御尽力により、一歩一歩着実に発展を遂げつつあります。
しかし、沖縄県には、戦後74年が経過してもなお、日本の国土面積の約0.6パーセントに、約70.3パーセントの米軍専用施設が集中しています。広大な米軍基地は、今や沖縄の発展可能性をフリーズさせていると言わざるを得ません。

復帰から47年の間、県民は、絶え間なく続いている米軍基地に起因する事件・事故、騒音等の環境問題など過重な基地負担による生命の不安を強いられています。今年4月には、在沖海兵隊所属の米海軍兵による悲しく痛ましい事件が発生しました。
県民の願いである米軍基地の整理縮小を図るとともに県民生活に大きな影響を及ぼしている日米地位協定の見直しは、日米両政府が責任を持って対処すべき重要な課題です。
国民の皆様には、米軍基地の問題は、沖縄だけの問題ではなく、我が国の外交や安全保障、人権、環境保護など日本
国民全体が自ら当事者であるとの認識を持っていただきたいと願っています。

我が県においては、日米地位協定の見直し及び基地の整理縮小が問われた1996年の県民投票から23年を経過して、今年2月、辺野古埋立ての賛否を問う県民投票が実施されました。その結果、圧倒的多数の県民が辺野古埋立てに反対していることが、明確に示されました。
それにもかかわらず、県民投票の結果を無視して工事を強行する政府の対応は、民主主義の正当な手続を経て導き出された民意を尊重せず、なおかつ地方自治をも蔑(ないがし)ろにするものであります。

政府におかれては、沖縄県民の大多数の民意に寄り添い、辺野古が唯一との固定観念にとらわれず、沖縄県との対話による解決を強く要望いたします。
私たちは、普天間飛行場の一日も早い危険性の除去と、辺野古移設断念を強く求め、県民の皆様、県外、国外の皆様と民主主義の尊厳を大切にする思いを共有し、対話によってこの問題を解決してまいります。

時代が「平成」から「令和」へと移り変わる中、世界に目を向けると、依然として、民族や宗教の対立などから、地域紛争やテロの脅威にさらされている国や地域があります。貧困、難民、飢餓、地球規模の環境問題など、生命と人間の基本的人権を脅かす多くの課題が存在しています。
他方、朝鮮半島を巡っては、南北の首脳会談や米朝首脳会談による問題解決へのプロセスなど、対話による平和構築の動きもみられます。
真の恒久平和を実現するためには、世界の人々が更に相互理解に努め、一層協力・調和していかなければなりません。

沖縄は、かつてアジアの国々との友好的な交流や交易を謳(うた)う「万国津梁(ばんこくしんりょう)」の精神に基づき、洗練された文化を築いた琉球王国時代の歴史を有しています。

平和を愛する「守禮(しゅれい)の邦(くに)」として、独特の文化とアイデンティティーを連綿(れんめん)と育んできました。
私たちは、先人達から脈々と受け継いだ、人を大切にする琉球文化を礎(いしずえ)に、平和を希求する沖縄のチムグクルを世界に発信するとともに、平和の大切さを正しく次世代に伝えていくことで、一層、国際社会とともに恒久平和の実現に貢献する役割を果たしてまいります。

本日、慰霊の日に当たり、国籍や人種の別なく、犠牲になられた全ての御霊(みたま)に心から哀悼(あいとう)の誠(まこと)を捧げるとともに、全ての人の尊厳を守り誰一人取り残すことのない多様性と寛容性にあふれる平和な社会を実現するため、全身全霊で取り組んでいく決意をここに宣言します。

御元祖(うぐゎんす)から譲(ゆじ)り受(う)きてぃ、太平(てーふぃー)(平和)世(ゆー)願(にげー)い愛(かな)さしっちゃる肝心(ちむぐくる)、肝清(ちむぢゅら)さる沖縄人(うちなーんちゅ)ぬ精神(たまし)や子孫(くゎんまが)んかい受(う)き取(とぅ)らさねーないびらん。
幾世(いちぬゆー)までぃん悲惨(あわりくり)さる戦争(いくさ)ぬねーらん、心安(くくるや)しく暮(く)らさりーる世界(しけー)んでぃし、皆(んな)さーに構築(ちゅくてぃ)いかんとーないびらん。
わした沖縄(うちなー)御万人(うまんちゅ)と共(とぅむ)に努(ちとぅ)み尽(ち)くち行(い)ちゅる思(うむ)いやいびーん。

We must pass down Okinawa’s warm heart we call “Chimugukuru” and its spirit of peace, inherited from our ancestors, to our children and grandchildren.
We will endeavor to forge a world of everlasting peace.
I am determined to work together with the people of Okinawa.

令和元年6月23日

沖縄県知事 玉城 デニー

 ※方言及び英語の訳
先人から受け継いだ、平和を愛する沖縄のチムグクル(こころ)を後世(子や孫)に伝えなければなりません。
いつまでも平和で安心した世界をみんなで築いていかなければなりません。
沖縄県民の皆さんと共に努力していくことを決意します。

令和元年度平和宣言は、平和を希求する沖縄のチムグクルを世界へ発信するため、英語、中国語及び韓国語に翻訳しています。

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