窓口を探したい > 県の教育施設をさがしたい > 沖縄県立埋蔵文化財センター > 普及事業 > 過去の企画展 > 過去の企画展(発掘調査速報2021) > 楚辺徳地原遺跡・楚辺親見原遺跡
ここから本文です。
更新日:2021年12月10日
所在地 | 読谷村字楚辺(トリイ通信施設内) |
事業名 | トリイ通信施設内発掘調査 |
時 代 | 縄文時代後・晩期~グスク時代 |
調査機関 | 令和2年5月~令和3年3月 |
調査面積 | 6,682㎡ (楚辺徳地原遺跡:C区3953㎡、D区1,225㎡ F区476㎡) (楚辺親見原遺跡:D区1,028㎡) |
1.はじめに
読谷村に所在する米軍基地トリイ通信施設内
の施設等建設工事に伴い、現状のまま残すこと
ができない埋蔵文化財の記録保存を目的とした
緊急発掘調査を令和元年度より実施しています。
令和2(2020)年度は楚辺徳地原遺跡
(C・D・F区)および楚辺親見原遺跡(D区)の
発掘調査を行い、縄文時代後・晩期~グスク時代
の遺構や遺物が見つかりました。特に、グスク時
代の掘立柱建物跡は、約100棟確認され、当時の
集落の様子を伺い知ることができるなど注目され
ます。
2.調査成果
(ア)縄文時代
楚辺徳地原遺跡では、岩盤が露出する周辺に竪穴建物跡が5棟確認されました。後の耕作や基地
の造成等でわずかに床面付近が残っている状態でしたが、床面は平らに整地され、火を焚いた跡も
確認されました。
楚辺親見原遺跡では、迫地(小さい谷)に縄文時代後・晩期の土器や石器を含んだ遺物包含層の堆
積が確認されました。本遺跡より標高が2m程高くなる楚辺徳地原遺跡では、竪穴建物跡が確認され
ていることから、縄文時代の遺跡本体はより高台の丘陵地へ分布する可能性があります。
(イ)グスク時代
楚辺徳地原遺跡では、掘立柱建物跡が約100棟確認されました。掘立穴柱建物は柱穴(ピット)を
掘り、そこへ柱を立てて、建物の骨組みを作るため、ピットが長方形状に並ぶことが特徴です。また、
建物を構成するピットの数により、小型建物(4本柱、6本柱、9本柱)、それより大きな大型建物に分
けることができます。本遺跡では、これらの建物が重なり合って確認されたことや、ピット内からグス
ク時代のグスク土器やカムィヤキを中心にくびれ平底土器(弥生~平安並行期)も出土していること
から、当時の人々が建て直しを行いながら、この場所で活動していたことが分かりました。また、長方
形状の土坑も確認されました。このような形から土抗墓の可能性もありましたが、人骨や副葬品が出
土しておらず、断定することはできませんでした。
楚辺親見原遺跡では、グスク土器を含む遺物包含層やピットが確認されました。迫地という立地か
ら、グスク時代は耕作地として利用されたと考えられます。
3.発掘現場の様子
4.出土した遺物
お問い合わせ
より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください