農業改良普及課の業務(沿革)

ページ番号1019635  更新日 2024年1月11日

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写真:宮古農村青少年センター
宮古農村青少年センター(旧農業改良普及センター)

沿革

1945年(昭和20年)
農業改良普及事業という言葉は戦後初めて用いられた言葉であり、米民主主義国で実施されていた農業技術指導の思想を取り入れて開始された戦後の新しい農家指導事業である。
1950年(昭和25年)
琉球農林省設立に伴い、市町村駐在農業技術員は農業改良普及員と改称され、身分も琉球農林省改良局に移管・さとうきび品種NCo310を導入。
1951年(昭和26年)
生活改良普及員26名市町村駐在として設置。
1953年(昭和28年)
農業改良普及員61名は、琉球政府公務員法第35条第2項第四号の規程に基づき、全員辞職、4月1日から市町村職員となった。
1955年(昭和30年)
緑の自転車から「オートバイ」へ。
1956年(昭和31年)
琉球農林省農業改良局時代に採用された生活改良普及員の身分が市町村に移管、伊良部町に生活改良普及員採用。
1957年(昭和32年)
NCo310奨励品種となり、今まで作られていた大茎種POJ2725に変わる品種として積極的に普及活動を展開。
1958年(昭和33年)
農業改良普及員・生活改良普及員の身分は、市町村から再び琉球政府職員として移管。
1961年(昭和36年)
琉球政府行政組織法(立法第100号)により、平良市下里462番地に宮古農業改良普及所・同伊良部、多良間駐在所設置・市町村担当制活動。宮古におけるNCo310普及率36.2%となる。
1962年(昭和37年)
普及事業の積極的活動の展開により宮古におけるサトウキビ品種NCo310の普及率99.4%となる。以後スーパー品種として昭和55年まで90%台の栽培面積を維持する。
1966年(昭和41年)
台風コラ宮古島直撃壊滅的被害となる(瞬間最大風速83.5m)。
1971年(昭和46年)
3月15日~9月19日までの185日に及び大干魃で、さとうきび10アール当たり収量1,246kg。
1972年(昭和47年)
市町村担当制から地域改良普及課・専門改良普及課・生活改良課・多良間駐在の体制となる。沖縄本土復帰・ドルから円へ。
1975年(昭和50年)

宮古地区就農青年クラブ連絡協議会を結成し担い手育成確保の普及活動を展開。

4農協が合併し、宮古郡農業協同組合となる。

1977年(昭和52年)
宮古農村青少年センターが平良市西里2071-54に設置され、宮古農業改良普及所は、同センターに移転、伊良部駐在廃止となる。
宮古島地下ダム開発(皆福ダム試験作業着工7月)県畜産共進会において平良市の久志敬三氏農林水産大臣賞受賞。2月22日~5月29日までの98日間に及ぶ大干魃。
1978年(昭和53年)
沖縄県農業士等認定要項制定に伴い2名が認定うける。
1979年(昭和54年)
宮古特産品第1号かぼちゃ入りサタパンピン誕生。
1980年(昭和55年)
6月3日~8月26日までの85日に及ぶ大干魃。
1981年(昭和56年)
普及所の活動体制変わる(機能分担方式~地域分担方式)。
1982年(昭和57年)
ミカンコミバエ防除開始。
1984年(昭和59年)
ミカンコミバエ根絶・ウリミバエ防除開始。
1985年(昭和60年)
宮古・八重山両普及所に次長職制設置(沖縄本島1978年)。課の名称変更により、普及第1課・普及第2課・多良間駐在(農・生改各1)。県畜産共進会において城辺町の狩俣恵光氏農林水産大臣賞受賞。
1986年(昭和61年)
食生活実践発表において多良間村生活改善グループ農林大臣賞受賞、ミカンコミバエ根絶。
1988年(昭和63年)
ウリミバエ根絶宣言・生活改良普及員の勤務場所の変更。(多良間駐在生活改良普及員本所勤務となる)サトウキビ品種F172奨励本種決定。
1990年(平成2年)
沖縄県農業改良普及事業40周年記念式典(那覇市グランドキャッスル)ゴーヤー本土出荷解禁・協同農業普及事業の実施に関する方針策定。
1991年(平成3年)
上野村あけぼの生活改善グループ(上地キヨ氏)第1回全国食文化交流プラザ審査員奨励賞受賞・県畜産共進会において城辺町の友利清良氏農林水産大臣賞受賞。
1993年(平成5年)
生活指導士等認定制度発足に伴い2名が認定うける。
伊良部町池間生活改善グループ第3回全国食文化交流プラザ審査員奨励賞受賞。
1994年(平成6年)
普及所を普及センターに名称変更・総合普及課・農村生活課となる。下地町の津嘉山千代氏食アメニティー活動コンテスト国土長官賞受賞・農林8号奨励品種決定。
1995年(平成7年)
日本最長農道橋来間大橋開通・認定農業者制度発足・伊良部町池間生活改善グループ食アメニティー活動コンテスト農林水産大臣賞受賞・みやーくの味加工推進協議会発足。
1997年(平成9年)
企画開発部地域・離島振興局宮古支庁新庁舎落成。第9回全国農業青年交換大会沖縄大会開催、平良市朝日グループ農産漁村高齢者対策優良活動地域表彰水産庁長官賞受賞、下地町の津嘉山千代氏食肉知識普及啓発事業料理コンクール農林水産大臣賞受賞、「農林水産祭」において砂川集落むらづくり部門で農林水産大臣賞表彰、宮古地区農漁村女性組織連絡協議会結成。
1998年(平成10年)
農林水産部から企画開発部地域・離島振興局宮古支庁宮古農業改良普及センターに所属組織変更(主務課は変わらず営農推進課)。
1999年(平成11年)
総合普及課・技術普及課・農村生活課の三課体制となる。サトウキビ品種NCo310栽培面積0.05%となる。パートナーシップ経営を確立するため家族経営協定を推進、6戸が締結。
2000年(平成12年)
総合普及課庶務担当1名減となり、農業関係11名・生活関係5名・事務1名の17名体制となる。国営・公団地下ダム事業完工式(11月15日)
沖縄県農業改良普及事業50周年記念式典(那覇市グランドキャッスル)
さとうきび新品種農林8号(52%)・F172(19%)・農林9号(10%)・その他の品種(19%)の普及率で多品種栽培となる。平良市漁協婦人部「海人からの贈り物」食アメニティー活動コンテストで農村開発企画委員長理事長賞受賞、全国土地改良事業地区営農推進優良事例表彰において有限会社ティダファームたらま全土連会長受賞。
2001年(平成13年)
県さとうきび競作会において下地町の下地恵治氏総合1位で農林水産大臣賞受賞。第27回県畜産共進会において優勝、城辺町の長浜弘一氏農林水産大臣賞受賞。12月末現在指導農業士等33名・生活指導士等8名・6戸が家族協定締結し12戸となる。宮古地区(平良・伊良部・池間)漁協婦人部協議会結成。
2002年(平成14年)
県さとうきび競作会において上野村の勝連栄一氏が夏植部門第1位を受賞。環境保全型農業コンクールで上野村の有限会社大嶺ファーム代表上地登氏が優秀賞を受賞。第8回全国和牛能力共進会において、第4区(若雌の部第2類)に出品した平良市の喜屋武幸子氏所有「えいこ」号が1等2席を獲得。15戸の農家が家族経営協定を締結。青年農業士2名、女性農林漁業士2名が認定される。全国農業機械士会功労者として第28回農業機械士全国大会において、平良市の長浜和彦氏が表彰される。
2003年(平成15年)
農村生活課から農村生活振興課に名称が変更される。平成14月15日年期沖縄県さとうきび競作会において、砂川恵信氏が農林水産大臣賞を受賞。第52回農業コンクール全国大会において、みゃーくの味加工推進協議会が、名誉賞・農林水産大臣賞を受賞。指導農業士6名、女性農林漁業士1名が認定される。台風14号襲来による被害甚大。災害相談窓口を設ける。農林水産フェア2004において、下地町の須崎克英氏出品のとうがんが金賞・沖縄総合事務局長賞受賞。
2004年(平成16年)
指導農業士の宮国匡さんが平成16年度農事功労受章。奥原初枝・栄一夫妻が平成16年度農産漁村ベストパートナー賞の多角経営部門を受章。宮古農漁業者組織連絡協議会を結成。同協議会主催、「第1回宮古の農林水産フェアー」を開催。宮古地区農漁村生活研究会が結成50周年記念祝賀会を開催。宮古地区から指導農業士3名、女性農林漁業士1名、名誉指導農業士2名が認定。
2005年(平成17年)
第30回農業機械士全国トラクター耕競技大会において、プラウ耕の部で平良聡さんが優秀賞、ロータリー耕の部で砂川博之さんが奨励賞を受賞。2005年毎日農業記録賞において、勝連栄一さんが優良賞を受賞。宮古地区から指導農業士1名、女性農林漁業士1名が認定。宮古支庁八重干瀬ホールにおいて、沖縄県農業改良普及事業パネル展を開催。
2006年(平成18年)
宮古農業改良普及センターと宮古支庁農林水産振興課農政係が統合し、宮古農政・農業改良普及センターが開所。それに伴い、宮古支庁1階に事務所移転。組織体制は農政班、普及企画班、農業技術班の3班体制となる。
2009年(平成21年)
宮古支庁の廃止に伴い、平成21年4月より宮古農政・農業改良普及センター、宮古家畜保健衛生所、農林水産整備課が統合し、新たに宮古農林水産振興センターが開所。宮古農林水産振興センター農業改良普及課となり、普及企画班、農業技術班の2班体制となる。

このページに関するお問い合わせ

沖縄県 農林水産部 宮古農林水産振興センター農業改良普及課
〒906-0012 沖縄県宮古島市平良西里1125 宮古合同庁舎1階
電話:0980-72-3149 ファクス:0980-72-9751
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